日ごとひとこま

いいことばかりじゃない40代女。朝のひと読みとして楽しめるようなブログを目指します

子どもがいる人生 いない人生 美しく年齢を重ねていきたい

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年齢を重ねることは次の世代へ譲ること

 

今日は友人と話していて学んだことがひとつありました。

その友人の人の見る目はいつも鋭く、”人の心を読みとるのが苦手”な私としてはその子の洞察力に感心することが多々あります。

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◎ 信用できない女性の話

 

その友人から見ると20歳ほど年上の同僚女性のことについてです。

私も知る人物なのですが、明るく華やかで、人を引き込む天才とも言えるおしゃべりの達人で社交的。人を誉め称えることも厭わず、誰とも壁を作らずに付き合うタイプ。子どもはいないけど結婚も仕事も成功して人生を謳歌している。

なんですが、うわさ好きなところが、心から信用できない部分だなと私は密かに思っていました。

なので友人が同じような気持ちでいると知って驚きました。

友人の中ではその理由ははっきりとしていました。その上司の言動には『うそがある』と言うのです。

 

 

◎ 子どもがいるいないって、何か違う?

 

実は友人にはもう一人女性の上司がいて、同じくおしゃべりが上手なアクティブな人。でもその人はサバサバしていて信用できるそう。

大きく違う部分として、子どもを育て上げたお母さんである点を友人は指摘しました。

常々思いますが、子育てを経験している人は否が応でもお母さんとしての顔が身に付いていき、自然と母性というものが生まれ、強さと柔らかさ、潔さが身に付いていくものなんだなぁと感じます。

若い人からすると、母親くらいの年の人が同じくらいの娘や息子が居ると聞くとなんだか親しみを持ちますよね。少なくとも自分はそうでした。

随分年上で怖そうに見えても、お子さんの話を聞くと『ああ、子どもさん私と同い年なんだ〜』なんてちょっと近く感じたりするし、『風邪気味でしんどい』と言った日には本気で心配してくれそうな、手を引っ張ってソファに寝かされて看病してくれそうな、そんな安心感も生まれてきます。昔、友達のおばちゃんが皆怖くなかったのはそんな前提があったからかもしれません。

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では一方でもう一人の(信用できない)方はどうかと、大人っぽくかっこよく生きていて、旦那さんと仲良く自分の人生を満喫しているように見えるし、女性らしさを忘れず、若々しく外見も中身も年齢を感じさせない。

前者は『お母さんみたい』で後者は『お姉さんみたい』な感じでしょうか。

ただ、素敵な女性で子どもがいない場合、同じレベルや同年代の人しか入るのを許されないような世界を持っていそうで、年が離れていると簡単にはそこに入れないないような雰囲気があるのは事実。少なくとも私のような人見知りには。

子育てを終えた人の場合には、非常に勝手な思い込みですが、自分の人生を誰かに捧げてきて、なんとなく現役を退いたような、自分の人生はどこか諦めたような、潔さというか、ハードルの低さというか、そういうものがある気がします。

普段バリバリに仕事もおしゃれも男性関係も楽しんでいるような人でも、子どものことになると途端に自分のことなんてどうでも良いとお母さんの顔に戻るその表情も(もちろん、全員がそんな良い母親だとは限りませんが)母親のような親しみに繋がっているのかもしれません。

子どもがいない私はそちら側には行けないのかと失望に似た気持ちにもなりますが、良い悪いではなく、いつでも”自分”が主役で生きていられるから、自分の全てを捨てて誰かを守り、優先して生きるというのは想像できないけど、やっぱりその差はすごくあるんだろうと思います。

 

 

◎ でも人間性は子どものあるなしではない

 

私自身のことですが、気づけば現在は昔の延長であり、人生のステージを上っているような感覚が全くありません。

でも、人間としての大きさはもちろん子どものあるなしではないですよね。

仕事で邁進している人であれば徐々に部下ができて責任が増え、社会的にも人間的にも成長し自然とステージアップしていくだろうし、実子でなくても子どもとふれあう機会があれば母性が育つだろうし、元々世話好きな人もいるし’自分’を差し置いて人のために生きる人もいるでしょう。

例えばあくまで個人的な意見だけど、芸能人のマツコデラックスさんとか杉本彩さんとかは勝手に母性愛を感じます。

社会的な貢献からか?人間としての経験値が違うからか?母性愛というよりももはや『愛』。

優しい人からは自然と大きな優しいオーラが溢れ出す。と思います。想像力というものにも長けているのかもしれませんね。

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◎ その女性を信用できない理由 核心に迫ります

 

では、友人がその上司を信用できないと言った真意はどこにあるのか?

一見明るく社交的で誰からも好かれそうなその人のことを信用できないと思うその理由は?

それは、

『いつまでも、若い人と張り合っている』点にあるといいます。

口では自分はおばちゃんだとか年だとか言いつつも、その裏にある嫉妬やプライドが時折見え隠れするということ。最初に書いたように、『言動にうそがある』ということに繋がります。

いつも色々な人の事を褒めているのに、綺麗系でしっかりした女性の事だけは『裏がありそうじゃない?』なんてどこからその発想が生まれるんだろうと不思議な発言をするそうです。普段は相談事には真剣に乗ってくれるし情の厚い人なのですが、

”女性として勝ってしまうと、悪く思われる” ために自分を下げて話したりダメな部分を見せたり努力をして上手く付き合っているそうです。

 

◎ 今後の目標

 

私自身、アラフォーで特に子どもがいないとなると何となく立ち位置がわからなくなったりする現実があります。

たまに、前まで当然のように自分に向けられていた若さに対する羨望の眼差しや手助けの先が別の人に向けられていることに戸惑うことも正直あります。

が、自然にステージを上がっていかないのなら、自らステージを上がるのも必要かなと思います。

”か弱さ”とか”可愛さ”とかは喜んで次の世代に譲って、汚れ仕事は進んでやるとか嫌われ役を買って出るとか体を張って誰かを守るとか、そういうこともおおらかに笑ってできるおばちゃんになれたら良いなと、それが一番難しい気もするけど、友人との話を通してそんなことを思ったのでした。