日ごとひとこま

いいことばかりじゃない40代女。朝のひと読みとして楽しめるようなブログを目指します

ふるさとはなぜに切なくさみしくなるのか

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用事があり、ある駅に降りたのですが、駅前で可愛らしい女性が一人で路上ライブをしてました。

大きな駅でも人集めは大変なのに、小さな駅だと、なかなか足を止めて聴く人はいない様子。

唯一熱心なファンみたいな男性が正面に立っていました。そして歌が終わると話しかけてました。

大衆の前でライブをしてるはずなのに、こうなるともう、1対1の構図。

他の人をシャットアウトしたような空気感が生まれます。

ファンからしたら独り占め。

女性からしたら逃げ場なし。

 

もちろん応援を求めてやってる分、メリットは大きいのだろうし、

本人の気持ちははたからは分からないので何とも言えないですが、

私としては、若い頃の経験などから、どうしても「嫌だろうな」と推察してしまうのです。

 

話しかけられても笑顔ひとつ見せてなかったのがその証拠だと思ってるんですが、どうでしょう??

 

どうでもよい話が長くなりました。

地元は暖かくて、寂しい

今、地元に戻ってあれこれと用事をしています。昨日は、地元の小さな駅の商店街を歩きました。

 

地元では、どこにでも何かしらの思い出が散らばってます。

そりゃそうですよね、20何年過ごした場所なんですから。

 

小さい頃に遠出したと思ってた商店街・・

高校入学時にドキドキして制服を作りに行った道・・

どこを歩いても頭にふわふわと浮かんでくる思い出の破片。

友人や親戚の顔も浮かぶし、若かりし親の姿も浮かんでくる。

 

昼間に歩くとそうでもなくても、夕暮れ時に出くわすと一気に、郷愁を誘う「おとな帝国」の世界に連れて行かれそうになる。

クレヨンしんちゃんの名作ですね。

ちょっと時代は私の時代より前だけど、あのノスタルジーは日本人なら誰でもわかるはず。

 

高層ビルに囲まれ、洗練された流行りものが溢れた都会にしばらくいたから、地元の小さな駅や街が哀しげに映るのかもしれない。

何が切ないのか

何てことない最寄りの駅ビルへ「ショッピングに行こう」と言ってた祖母の姿

大人になってからも幼い頃好きだったラムネを送ってくれた父

何かプレゼントしたいと義母が買ってきてくれたのが、若い子が着けるようなネックレスだった時

一生懸命定規を使ってノートに手書きの表を作ってる母

 

自分がぐんぐんと成長して目が肥えて知識が増えたり身につけるものとかも変わっていくと、変わらない親や祖父母、むしろ老いて行動範囲も狭まって行く姿に、虚しさや切なさを感じてしまうのでしょう。

 

別に最先端が正しいわけでもないし、お金をかけたから幸せとは限らないし、上質な物が幸せとも限らないし、そもそも上質なものという定義もわからない。

 

でも、たしかに感じるさみしさ。

 

ただの最寄り駅だよ。ショッピングならもっと洗練された都会に行こうよ。

ラムネはもう食べないよ。もっとおいしおやついくらでもあるよ。

自分のお気に入りアクセサリーなら持ってるよ。

エクセル使ったら楽に表作れるよ。

 

そんなこと言ったって向こうにはどうでも良いんだろうけど、見てる範囲が小さくなってるようで、さみしく感じるのかも。

 

ま、自分自身もちょっとましなだけで、流行りものになんて全然付いて行ってないし、世間からも置いてかれてるので一緒なんだけど。

 

だけど一応、好奇心を忘れないように、そして小綺麗に、久しぶりに会う家族や親族の目にかわいそうな姿に映らないよう、多少がんばって元気溌剌でいるように気をつけたいとは思います。

若い人も、元気な高齢者の方とかって、元気をもらえますしね。

 

取り止めのない話になりました。

まとめ

ふるさとは遠きにありて思ふもの

 

なんて言葉がありますが、望郷の気持ちも、引っ越してきたら日常になり、切なさとかも消え去るんでしょうね。

 

そう願いつつ、引き続き引越し準備がんばります!